とあるコミュニティーに入った事ががきっかけで、自分の”ヴィジョン”について真剣に考えるようになりました。
そのコミュニティーというのは、自分のハート♡としっかり向き合い、心の声をすくいあげ、発信によって言語化していくというもの。
思っている事や考えている事を言語化できなければ、こうやってブログを書いたり発信したりすることもできないわけで。
だけどその前段階、自分の中に何らかの”想い”がなければ発信できることなんてあるはずがなくて。
私はちょうど、その”想い”の部分に迷いが生じているタイミングでした。
普段、四柱推命や天質診断といったサービスを提供しているわたし。
これらのツールは自分を知るには役立つものだし、実際に喜んでももらってもいる。
だけど、その後は?
自分を知った後、その人はどうなっていくの?
わたし自身が心の底から本当に伝えたいことって一体、何?
ただ四柱推命を伝えたいわけじゃない。
できれば、受けてくれた人の人生を推し進める一助になりたい。
もっと”明確な何か”が欲しい。
本当に伝えたいことを自分の中から見つけ出したい。
きっとそれがヴィジョンだから。
ヴィジョンって、自分の理想像や叶えたい世界のこと。
このコミュニティーに参加すれば、何か見えるものがあるかもしれない。
そんな思いから、安心・安全なコミュニティーの中で毎日自分と向き合う事で、ヒントがあれば良いなと思い参加に踏み切ってみました。
わたしが見つけたヴィジョンのキーワード
コミュニティーに参加し、欲しい物や理想の生き方、お金の使い方など、色々な角度から3週間毎日自分と向き合い、発信していく中で、いくつかの共通するキーワードが見つかった。
・自由に生きる
・好きなことをする
・自分らしい
・つながり
・遊び=仕事
・体験
・社会貢献
・海外(語学)
これらがわたしのヴィジョンのカケラたちだった。
このカケラたちを深掘りし、肉付けしていくと、
自分の内側と外側を統合して
・”ほんとうのじぶん”で生きる
・じぶんの望みを叶える
・”ほんとうのじぶん”で生きるその先の社会貢献
これを実践すること。
このようになった。
ヴィジョンの元となったもの
7回転職して、会社員が合わないと結論づけたわたしとしては、自由に生きる、好きなことをする、といったキーワードが出るのは想像ができた。
海外(語学)というのも、海外旅行は好きだし、海外の情報を知るのも好きだった。
海外のアーティストが好きで、一時期はスペイン語も習っていたから出たものだと思っていた。
だけどふと、「いつから好きになったんだろう?」と思い、ここを深掘りしていくと、思い出したことがあった。
キーワードは外国人。
小学生の頃から近くにはいつも外国人の子がいた。
実家が米軍基地に近かったので、一時滞在の外国人ファミリーが近所に住んでいて一緒に遊んでいたし、通っていた小学校には、外国の子が通う”国際教室”があった。
はっきりとは覚えていないけど、国語や算数といった、日本語が必要となる授業は国際教室で受け、体育や図工などは一緒に受けるものだったような気がする。
日本語がほとんど話せない、ブラジル人の女の子が同じクラスだった。
他の子とは一切関わろうとしなかったのに、なぜかわたしとだけは、頷きやジェスチャーでコミュニケーションを取ってくれていた。
大人になっても外国人と一緒に働く機会があった。
外国人をよく採用する会社だったから。
子供の頃の経験があるせいか、一緒にいても全く壁を感じなかった。
なんだかんだでお世話係のような役割になっていたけど、苦と感じることもなかった。
言葉が通じなくても、お互いの文化を知ろうとする事はできるし、困っている事があれば手助けしたいと思ったし、実際に手助けできた事もあった。
少しずつ相手を理解して、交流することも好きだった。
忘れていたけど、こういった積み重ねがわたしの中にはあった。
何かできるかもしれない、という気持ちも心の奥底に持っていた。
小さな行動が循環した
一つの小さな交流や行動が循環するかもしれない、と実感したのは割と最近の話。
大好きな海外アーティストがオンラインLiveをすることになり、
コロナ禍だからこその全世界一斉配信。
その際、中南米にチケットを購入できない子がいると知り、1枚だけ贈らせてもらったことがある。
抽選でLiveチケットプレゼント企画をしている方がいて、そこに乗らせてもらう形で支払いを申し出てみた。
チケットは日本円で1,500円程度のものだったけど、ファンの子は日本より所得が低い国の子も多く、購入が難しいということを、初めて知ったから。
恥ずかしい話だけど、”買えない子がいる”なんて考えてもいなかった。
安すぎる!と思っていたくらいだし。
Twitterで「買えない」という書き込みを見て、きっと、わたしよりも長く応援していて、わたしよりも大好きで、わたしよりも見たい気持ちでいっぱいの子も多いんだろうなと思い、少し胸が苦しくなった。
好きなものに触れられるって、当たり前のことじゃなかったから。
当選者が発表になり、当選した子は、実は妹のために応募していた子だと教えてもらった。
妹がファンだけどチケットが買えないので、この企画を見つけて自分が代わりに応募した、と。
それを聞いて優しさに泣けた。
応募するにはInstagramのフォローや投稿など、いくつか条件があったのだけど、妹のためにと、数多くの投稿をしていたらしい。
わたしが1枚贈ったことで、企画した方がもう1枠用意してくれ、当選者は2名になった。
この企画自体も善意によるもので、もう1枚のチケット代は企画した方の自腹だった。
優しさが循環していた。
そして、そのLiveは素晴らしかった。
だけど、突然のメンバー脱退による、まさかの最後のLiveということになった。
最後になるとは想定外だったけど、だからこそ、思い切って申し出てみて本当に良かったと思っている。
会ったこともない1人の子に喜んでもらえたから。
顔を合わせていなくても、直接できることがあったし、あると知ったから。
この出来事もヴィジョンを見つけるきっかけになった。
恵まれた国、日本に生まれ育ったわたしができること。
好きな人やもの、ことを、好きな人たちに循環・還元すること。
これが今のわたしのヴィジョン。
今できることは小さい。
だけどいつか、海外に学校を建てたり、雇用を生み出すようなお手伝いができればと思ってる。
社会貢献なんて言うと、偽善者とか思われるかもしれないけど、別に構わない。
こうやって過去や出来事を思い出すことで、わたしのヴィジョンは掘り起こされた。
だけどこれは、わたしのしたいこと。
コミュニティーに参加した最初の目的、心の底から伝えたいこと…ではなかったのだけど。
すれ違う知らない人にもヴィジョンがある
自分のヴィジョンを見つけながら、コミュニティーでの3週間が終わろうとしたとき、1人の参加者さんの発信に心が震えた。
それは、「自分にも、すれ違う知らない人にも、それぞれヴィジョンがあるということを知りました」というもの。
ハッとした。
このコミュニティーに参加して、わたしは朧げながらもヴィジョンを認識できた。
あっちの方角に進みたい、という大きな目印。
だけどまだ、自分の中にあるヴィジョンに気づいていない人もいるかもしれない。
そう思ったとき、わたしはヴィジョンを引き出したいんだと気付いた。
わたしがこのコミュニティーで経験したように。
内側に眠るヴィジョンを引き出して、そこに向かうツールとして、四柱推命や天質診断を使っていきたい。
そうすれば、自分を知った後に向かう場所ができる。
それに、みんなが自分のヴィジョンに気が付いて、それに沿った生き方をしていたら、すごく楽しそうじゃない?
そんな世界を想像するとワクワクする。
ヴィジョンって、その人が大切にしている宝物みたいだ。
自分だけのヴィジョンを掘り起こす。
そこに向かって小さな1歩を踏み出す。
これがわたしの伝えたいこと。
コミュニティーに参加して振り返って、見つけたもの。
これを主軸に活動していくんだ。